第6回広島がんセミナー県民公開講座

「21世紀に向けてのがん医療」

平成8年10月21日(月)

21世紀に向けての医療と私たち
-遺伝子診断をどう考えるか-

国立精神・神経センター精神保健研究所
白井 泰子

1.遺伝子診断について語る前に
 遺伝子診断の問題について論じる前に、少し立ち止まって、今私達が直面している医療の問題について考えておきたいことがある。高齢化社会の直中に身をおく私達の多くは、程度の差こそあれ、所謂成人病に悩まされることになるだろう。そうした場合には、病気と上手に付き合いながら、社会生活や職業生活をおくる術を身につけることが不可欠となる。こうした生活を実践するためには、医療における発想の転換-治療の対象としての患者から、治療行為の主体としての患者へ-がまず第一に求められる。換言すれば、どの様な医療を行うのか、あるいはどの様に病気と2人3脚をするのかについては、医療者から充分に説明を受けた上で患者が決める-インフォームド・チョイス-という原則を患者と医療者が共有することが重要となる。
 21世紀を“遺伝子医療の時代”と呼ぶ声を耳にする機会が多くなった。今後の医療における遺伝子診断の位置付けを考えるためには、インフォームド・チョイスの原則を医療の場に確立させると共に、医療の遺伝子診断の性格及び用途、これによって惹起される倫理的社会的問題をきちんと把握し、議論を重ねた上で、診断の利用範囲を定めてゆくことが必要となろう。
 

2.遺伝子診断とはどうゆうものか

 遺伝子診断とは、遺伝子地図上の位置と構造及び病気との関連が明かにされている遺伝子を使って、特定の病気の原因遺伝子あるいは関連遺伝子に変異(欠失や重複など)あるか否かを検査し、病気の診断を行うものである。遺伝子診断の用途は、(1)病気の確定診断、(2)保因者診断、(3)出生前診断、(4)遅発性遺伝病の発症前診断(例えば、ハンチントン舞踏病など)、(5)多因子型疾患の感受性診断 などのようにいくつかの異なる文脈に亘っている。広島県のがん検診に用いられている遺伝子診断は、1番目に挙げた確定診断としての用法である。
 

3.遺伝子診断に内在する倫理問題

 遺伝子診断に共通する第1の問題点は、遺伝子診断によって得られる情報が診断を受けた当人の個人的医療情報という枠を越えて、子や親あるいは兄弟姉妹など家族・親族に深い関わりをもつ共通情報という性質を併せてもつことにある。今日の医療において重視されているインフォームド・コンセントの原則は、“患者の自律”と“患者の自己決定権”の尊重をその基盤としているが、遺伝子診断のもつこうした特性は、この基盤に大きな揺さぶりをかけることとになる。
 遺伝子診断の第2の問題点は、診断と治療との乖離という点にある。現時点では50,000から100,000の遺伝子が何らかの病気の発現に関わりをもつと推定されており、原因遺伝子が固定されている遺伝性疾患も3,800以上にのぼるといわれている。しかし、原因遺伝子の構造や遺伝子地図上の位置が同定されているこうした病気に対してさえ、遺伝子治療も含め、有効といえる治療法はまだまだ開発途上にあるにすぎない。治療行為の伴わない診断においては、“病気を予防する”ということが、“その病気になる可能性のある人(あるいは胎児・胚)”の存在を否定したり、排除することに直結する危険性を孕んでいる。この問題は、遺伝子検査が出生前診断や感受性診断のために用いられる場合、特に顕著になると思われる。
 こうした問題を考え併せると、遺伝子診断を最も自然な形で医療の中に位置づけるためには、何よりもまず、遺伝に関する知識の普及や遺伝子検査の受診前も含めた遺伝カウンセリングの提供・対処行動選択後の心理的サポートの提供など保証するためのシステムの構築と人的資源の確保に心をくだく必要がある。

4.遺伝子医療時代とわたし達

 遺伝子診断に限らず先端技術を用いた医療では、患者のニーズを満たすために開発された技術が、次には利用者側の新たなニーズを掘り起こすという逆転現象が生じている。このような技術革新とニーズの掘り起こしという際限のないいたちごっこが、新たな倫理的・社会的問題を惹起することになるのである。こうした状況の生起を少しでも回避するためには、何等かの形で欲求追求主義に歯止めをかける、-例えば遺伝子診断の適応基準を定める-、という姿勢が不可欠となる。
 医療における技術革新の波は、私達の想像力と制御能力をはるかに凌ぐ勢いで押し寄せている。今私達がしなければならないことは、科学技術と人間の在り方という問題と虚心に向き合い新しい地平を切り開くための努力を重ねてゆくことではないかと考える。

白井 泰子 先生 ご略歴

昭和42年3月 早稲田大学第一文学部哲学科心理学専修卒業
昭和49年3月 早稲田大学大学院文学研究科博士過程修了(社会心理学)
昭和49年4月-昭和62年9月 愛知県コロニー発達障害研究所主任研究員
昭和58年-59年 フルブライト上級研究員として、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校・ヘイスティングセンター等でバイオエシックス(医の倫理)研究に従事
昭和62年10月-平成2年12月 信州大学人文学部助教授(社会心理学)
平成3年1月- 国立精神・神経センター精神保健研究所、社会精神保健部社会文化研究室長
昭和59年8月-12月 ハイデルベルク大学医学部人類遺伝学教室客員教授

専門:社会心理学、医療倫理

日常生活とがんの予防

愛知県がんセンター研究所・所長
富永 祐民

 わが国においてがん死亡は年々増加し、昭和56年には脳卒中と入れ替って日本人の死亡原因の一位になった。がん死亡はその後も増加傾向を続け、最近では全死亡原因の約27%を占めるに至った。わが国においてがん死亡数は年々増加しているが、その主な原因は高齢者人口(がん年齢人口)の増加によるものである。一人一人ががんで死亡する確率は増大しておらず、男では横ばい、女では低下傾向を示している。ただし、がんの種類により増減傾向は異なっている。
 がん死亡率の年次推移をがんの種類別にみると、胃がんは男女とも低下傾向を示している。女では子宮がん死亡率も著明な低下傾向を示している。女ではさらに肝臓がん、食道がんも低下傾向を示している。しかし、男では肝臓がんは増加しており、食道がんの死亡率も女より高率で、低下傾向も僅かしか見られない。肝臓がんと食道がんの推移傾向の男女差の原因は明かでないが、喫煙・飲酒習慣の男女差が一因であるとみられている。その他のがんのほとんどが増加傾向を示している。肺がん、大腸がん(特に結腸がん)、胆道がん、膵臓がん、前立腺がん、卵巣がんなどは著明に増加している。乳がんも増加している。日本人のがんのパターンは全般的に見ると、アメリカ型(肺がん、大腸がん、乳がん、前立腺がん、卵巣がんなどが多く、胃がんと子宮がんは著明に減少)に近づきつつあるといえる。これは、日本人の食生活などの生活習慣がアメリカ型に近づきつつあることを反映しているとみられる。
 これまでに内外で行なわれた多くの研究から、がんの原因・危険因子として、喫煙、食物(塩辛い食品、脂肪の過剰摂取、生野菜・緑黄色野菜の不足など)、放射線、紫外線、大気汚染、薬剤、農薬、ウイルス感染、遺伝的素因などが明かにされている。これらのがんの危険因子の寄与割合を推計すると、食物(35%)と喫煙(30%)の寄与度が極めて大きく、食生活の改善、喫煙対策のがん予防効果が大きいことがわかる。食物はがんの原因中で最も重要であるが、食物とがんの関係は複雑である。わが国に多い胃がんの高危険因子としては塩辛い食品の過剰摂取が最も重要である。塩分の過剰摂取は高血圧の原因としても重要である。塩辛い食品の摂取を抑えることにより脳卒中と胃がんの両方を予防することができる。脂肪、特に動物性脂肪の過剰摂取と繊維分の不足は大腸がんの原因として重要である。動物性脂肪の過剰摂取を避けることにより大腸がんと動脈硬化性心臓病の両方を予防することができる。逆に、野菜・果物類(特にカロチンの多い緑黄色野菜やビタミンCに富む生野菜、柑橘類など)はがんの予防に役立つ。食品添加物や農薬の寄与度は1%以下で考えられているほど大きくはない。
 食物に次いで重要ながんの原因は喫煙である。喫煙は肺がんのみでなく、口腔がん、喉頭がん、食道がん、胃がん、肝臓がん、膵臓がん、膀胱がん、女性ではさらに子宮がんの原因になっている。禁煙により、肺がんをはじめとして一連の「たばこ関連がん」の予防が可能となるほか、心筋梗塞・狭心症などの心疾患、慢性気管支炎・肺気腫などの呼吸器疾患、胃・十二指腸潰瘍などの一連の「たばこ病」の予防が可能となる。飲酒も口腔・咽頭がん、食道がん、肝臓がんなどの一部のがんの原因になっているが、その寄与度はたばこに比べるとずっと小さいので「禁酒」する必要はなく、「節酒」に心がければよい。
 がんの予防は一次予防と二次予防に大別される。「がんの一次予防」はがんの原因を除去し、防御因子を補うことによって、がんの罹患を予防することである。特に重要なのは禁煙・節酒と適切な食生活(塩辛い食品と脂肪の過剰摂取を避け、生野菜、緑黄色野菜、繊維に富む食品を十分にとることなど)である。これは単にがん予防のみでなく、脳卒中や心臓病の予防、ひいては健康増進にも役立つ。
 「がんの二次予防」は、定期的にがん検診を受診し、できるだけ早期にがんを発見して、根治療法を受け、「がんで死亡することを予防すること」である。火災対策とがん対策は似ている。火災対策で出火を早期に発見し、ぼやの段階で消火して建物の全焼を防止するのはがん検診による早期発見・早期治療でがん死亡を予防するのに匹敵している。火災対策でも日常生活での地味な「火の用心」で出火が防止されている。がん対策においても、日常生活で“がんの用心”に心がける必要がある。禁煙・食生活の注意が特に重要である。このような日常生活の注意でかなりの予防が可能である。

富永 祐民 先生 ご略歴

昭和12年6月8日 兵庫県姫路市生まれ
昭和37年 大阪大学医学部卒業
昭和42年 大阪大学大学院医学研究科(公衆衛生学)修了(医学博士)
昭和42年-48年 米国メリーランド大学医学部へ留学、助手、助教授、準教授
昭和49年-52年 厚生省、環境庁勤務
昭和52年3月 愛知県がんセンター研究所疫学部長
昭和60年4月 愛知県がんセンター研究所副所長兼疫学部長
平成2年4月 愛知県がんセンター研究所長、現在に至る

専門:公衆衛生(特にがんの疫学と予防)、喫煙対策、臨床試験の方法論

 

がん患者の心理状態とその対応

広島大学医学部神経精神医学・教授
山脇 成人

 精神的に「気が張っていると、かぜをひきにくい」など、心の状態は体に大きく影響を及ぼします。昔から「病は気から」といわれていますが医学的にも実証されるようになりました。欧米で行われたがん患者さんに対する調査の中に、がんに対する心理的な反応と生存期間について、調べたものがあります。ひとつは、乳がんの患者さんが、その後の闘病生活にどのような姿勢で立ち向かうかによって、生存期間が大幅に変ってくるというものです。前向きの姿勢で、がん治療に臨んでいる人は、長生きしている人が多いのですが、反対に絶望的、悲観的な姿勢をとった人の生存期間は、短くなっているという結果です。もうひとつは、再発した乳がんの患者さんを対象にしたものですが、精神科医の心のケアを受けた人と、ケアを受けていない人の生存期間を比較したデータです。これによれば、精神的なケアを受けた人は、受けていない人よりも2倍以上長く生きていることがわかっています。ほかに“親しい肉親と死別した人が、1年以内に死亡する割合は、通常の4倍以上になる”という調査もあります。こうしたさまざまなデータが示すように、心理的なものが肉体に及ぼす影響は、大変大きいといえるでしょう。心のケアを受け、病気に対して前向きの姿勢で臨んでいる患者さんの細胞を調べてみると、細胞の免疫力が以前と比べて増えることが、臨床的に確認されています。たとえ、病気に罹っていても、闘病について前向きに考えるような姿勢があれば、体の抵抗力である免疫力は高まります。その結果、気力が充実してくるので、だんだん元気になっていきます。このように精神状態と病気に対する免疫力は、相互関係にあるのです。アメリカでは1970年代に、患者さんの精神面をケアする体制が、チーム医療として確立しました。精神科医が主治医とともに治療にあたる医療体制がつくられ、患者さんの悩みや心の問題に対しても、ケアが行われるようになっています。そうした中で、がん患者さんの精神面について、専門的に取り組む「サイコオンコロジー(精神腫瘍学)」という研究分野が発展してきました。日本でも最近、がん患者さんに対する心のケアの必要性がいわれるようになり、関心が高まっています。
 がん患者さんの心の動きについて、みていきましょう。まず、医師からがんを告知されると、患者さんはがんであることを知って、「衝撃(ショック)」を受けます。そして、「自分ががんであるはずがない。何かの間違いだ」と認めたくない思いを強くして、「否認」の段階に入ります。次に、「どうして私が、がんに罹らなければいけないのか」と「怒り」を表すようになります。怒りは、やがて「せめて娘の結婚式までは生きたい」というような自分自身との葛藤になり、「取り引き」の段階を迎えます。その後、絶望的になるなど、「抑うつ」の状態を迎えます。こうしたプロセスを経て、最後に患者さんは、“自分ががんであること”を「受容」していくのです。こうした感情の変化の過程は、人によってさまざまで、途中で部分的な否認が繰り返されたり、“怒り”が治まった後でも再び、“怒り”になることもあります。こうした段階を経て、患者さんは心の深いところで、「希望」を持ち続けながらも、死に対する準備を始めます。もちろん、この時点までの間に回復に向かう例も多いのですが、一方、「デカセクシス」と呼ばれる恍惚状態になり、死を迎えることもあるのです。一般的に、がんの患者さんの心理的なプロセスはこうした過程をたどりますが、精神的な不安の対処のしかたは、人それぞれです。広島大学で、乳がんの患者さんに対して、面接調査を行ったところ、「乳がんにかかった患者さんの約4割が、不安や恐れを自分でうまく対処することができずに、精神面での援助を必要とする」という結果になりました。こうした人たちの74%は、がんに対する不適応反応で、“不安や軽いうつ状態”を示し、ほかの12%は、“うつ病”になっていました。精神面での援助を必要とした人たちに対しては、精神療法であるカウンセリング、あるいは必要に応じて、薬物療法を行うことがあります。うつ病に対しては、抗うつ剤を用いることで、症状の改善が図れるケースが多くあります。誰でも自分ががんであることを知ると、精神的に不安定になるものです。日本ではまだ精神科に対する評価は十分とは言えませんが、がんなど病気に罹った人に対する心のケアは、とても大切なことですから、もっと開かれた精神科の医療を、幅広く行っていくことが大切ではないでしょうか。
 がんに罹った患者さんの、病気に対する心構えについて考えていきましょう。まず、自分が主治医になったつもりで、積極的に闘病生活に取り組むことが必要です。そして、正しい医学的な知識に基づいて、自分の症状を把握します。がんに対する不安や死への恐怖を感じるのは、人間として当たり前のことですから、それを家族や親しい友人に話して、心の悩みを分け合うことが大切です。場合によっては、精神科医や心理療法士に相談することもよいと思います。病気や死は、誰にでも訪れることです。がんと聞いただけで、すぐ“死”と思い込んでしまいがちな傾向は残念なことです。これまで述べてきたように、がんに立ち向かう患者さん自身の姿勢が、生存期間を延ばすというよい結果を生み出しています。その日、その日の生活を大切にして、自分の趣味を生かしたり、これまでの友人関係を大事にして、実り豊かな人生を送るよう心がけましょう。
 次に患者さんを看護する家族の心構えについてお話しします。患者さんは、闘病生活の中で、さまざまな心理的な反応を示しますが、家族としては、その反応がどのような性質のものであるかを、しっかり理解して受け止めてあげることが大切です。そして、患者さんは病気に対する不安や死への恐怖などを感じているので、それについて避けるのではなく、折を見て話し合うことも大切です。時には、家族にたいして怒りを表すことがよくありますが、これはがんに対する怒りが家族に向かって出たものと理解して、感情的な対応をしないように努めてください。病人だからと患者さんをいたわって、わがままを通させるばかりではなく、発病前に患者さんが果たしていた役割をできるだけ続けてもらい、生きがいを持たせることも大切です。患者さんとの話題については、なるべく楽しかったことや誇りに思っていることを中心にするのがよいでしょう。また、患者さんが心配している現実的な問題については、後回しにせずに、その解決に向けて家族が協力することが大切です。最近、日本でも「がんの告知」が行われるようになっていますが、医師の患者さんに対するがん告知の割合は現在、約20%です。告知後の精神的なケアについて、十分な対処がないと、告知は患者さんにとって苦痛が増すだけです。今後のがん治療は、治療に対する「インフォームド・コンセント(丁寧な説明と納得のいく同意)」をしっかり行うことや、「クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)」の重視が、ますます求められてくるでしょう。そして、がん患者の心のケアへの取り組みも、これからの大きな課題のひとつです。

山脇 成人 先生 ご略歴

昭和29年生まれ
昭和54年 広島大学医学部卒業
昭和56年 国立呉病院精神科
昭和57年 科学技術庁在外研究員として米国ワシントン大学医学部精神薬理学教室に1年間留学
昭和60年 医学博士(広島大学)
平成元年 国立呉病院精神科医長併任
平成2年 広島大学医学部教授(神経精神医学)、現在に至る
平成2年4月 愛知県がんセンター研究所長、現在に至る

専門:精神医学、精神腫瘍学

がん治療の現状

国立がんセンター・総長
阿部 薫

 がんで亡くなる方の数は毎年、増加の一途を辿り、本邦において、現在では毎年約24万人ががんで亡くなられている。すなわち、亡くなる方のほぼ4人に1人ががんということになる。どうしてこのような状態になってしまったのかというと、これは日本という国が歴史上前例がない高齢化社会に突入していることの反映であって、がんに罹る高齢者の数が増加した結果、亡くなる方の数が増えたことに他ならない。すなわちがん死亡数の増加は、21世紀を迎えた高齢化社会における一つの社会現象に他ならないのである。このような事態に対し、私達はどの様に対応したらよいのか、いくつかの面から私見を交えて述べてみたい。
1.がんの診断、治療の進歩

 がんは早期に発見し、外科的に完全に切除してしまうのが最もよい治療方法である。事実、早期に発見された胃がん、大腸がん、子宮頚がんなどは早期であればまず治るがんということができる。ちなみに早期胃がんの5年生存率(5年間がんの再発がなければ、治ったと考えることができる)は95%を越えている。この意味から早期に発見すれば治るがんの検診の持つ意義は大きい。しかし、依然として早期に発見することが困難ながん、すなわち肺がん、膵臓がん、食道がんなどいろいろながんがある。加えて、このようなタイプのがんはしばしば悪性度も高く、すぐにまわりの組織に浸潤し、また他の臓器に転移も来たし易く、患者さんの命を脅かすことになる。このような浸潤、転移をきたしたがんは進行がんと言われるが、一般的に言って、このようなタイプのがんに対しては現在でも治療は非常に困難である。しかし、抗がん剤の進歩、それに対する副作用防止などが進歩し、症状の改善、生存期間の延長のみならず、時には治ることもあるがんもでてきた。これは、悪性リンパ腫、白血病、睾丸腫瘍、卵巣がんなどのがんである。これはやはり、抗がん剤治療の進歩によるところが大きい。このようにしてみると、がんというものは全て同一のものではなく、肺がん、胃がん、乳がんなどがんの上につく文字が違えば全く違った病気と考えた方がむしろよいのである。このように、がん診療の進歩に伴い、がんの治療成績も次第に上がっており、現状ではがんのほぼ半数が治ると言う時代になっていることも確かである。しかし、逆に考えれば、半数は治らないと言うことになる。このことについては後にまとめて述べてみたい。
 

2.遺伝子診断とはどうゆうものか

 21世紀を迎える現在は、まさに情報化時代である。医療の世界においても、これは例外ではない。現在、国立がんセンターを中心に、地域の中心的がん診療施設である国立札幌病院(北海道地方がんセンター)、国立がんセンター東病院(千葉県柏市)、愛知県がんセンター、国立呉病院、国立病院四国がんセンター、国立病院九州がんセンターなどのがん専門施設との間にネットワークが整備されており、多地点テレビ会議、画像診断、病理診断などが自分の病院にいたまま相互にテレビの画面上でできるようになった。このネットワークは、さらに多くの施設に広げる計画である。加えて、国立がんセンター(中央)に設置されたスーパーコンピューターに多くのがんに関するデーターを蓄積し、各種のデーターベースの構築に努めている。そして医師のみならず多くの一般の方々にもご利用いただける様にしようと試みている。これからの情報化時代においては、国立がんセンターはどれだけの情報を提供し得るかということが今後は重要な役割になるものと考えられる。
 

3.がんの終末期医療

 がんのほぼ半数は治ると申し上げたが、これは逆に言えば半数は治らないということである。最近では安楽死問題など、いろいろ世情を騒がせている。国立がんセンター東病院は国立としては初めて緩和ケア病棟(ホスピス)を備えた病院である。東病院の現状をお示ししながら、終末期医療における緩和医療の重要性についても述べてみる。
 簡単に言うならば、がんに対する積極的な治療が無理の場合には、がんの治療は行わないが、患者さんのがんに伴う痛み、呼吸困難、食思不振、下痢、不眠、だるさなどの症状はできるだけ除くことに努め、がんによって患者さんがくるしめられることのない様にすることが緩和医療で、その重要性は高い。また、私達もこのような緩和医療についても全力をあげている。
 がん、それは確かに恐ろしい病気であり、がんという言葉は常に死の影を伴っていることも現状では事実である。しかし“がん”にかかった方が全て亡くなるわけではない。一方、人間をはじめ、生命あるものは全て死ぬということも否定することのできない事実であり、自然の摂理である。この高齢化社会において、がんという問題からすべての人に必ず訪れる死をどの様にとらえるのか、生きると言うことはどういうことなのだろうか。自分の生を考えることは、いかに自分の死を迎えるかという問題でもあり、このような視点から、がんのインフォームドコンセント(説明と同意)、がん告知の問題などについても私見を述べてみたい。

阿部 薫 先生 ご略歴

昭和8年12月2日 神奈川県横浜市生まれ
昭和33年3月 東京大学医学部卒業
昭和38年3月 東京大学医学部大学院博士過程修了(医学博士)
昭和38年12月 東京大学医学部附属病院第一内科
昭和39年4月 米国テネシー州ヴァンダビルト大学に留学
昭和42年4月 ヴァンダビルト大学内科講師
昭和44年7月 東京大学医学部附属病院第一内科
昭和47年4月 国立がんセンター研究所内分泌部治療研究室長
昭和50年7月 国立がんセンター研究所内分泌部長
昭和60年10月 国立がんセンター病院病棟部長
平成元年4月 国立がんセンター病院副院長
平成2年3月 国立療養所松戸病院長
平成4年7月 国立がんセンター東病院長
平成6年4月 国立がんセンター総長、現在に至る

 

21世紀に向けてのひろしまプロジェクト

広島県福祉保健部長
中谷 比呂樹

21世紀へのカウントダウンが始まった今、広島県では、未来への先行投資ともいえる数々のプロジェクトを手がけつつある。その目的とするところは、『日本で一番住みやすい生活県』づくりであり、数々の社会資本の整備が進められようとしている。そこで、まず、21世紀初頭の広島の保健医療の姿およびその存り方に影響を与えるであろう諸因子を展望し、心豊かで安全・快適な県民生活実現のための県の取組状況を述べてみたい。その上で、現在、広島県が構想中の『(仮称)国際平和祈念がんセンター』の検討状況について述べる。なお、平成8年2月に広島県高度専門医療施設基本構想策定委員会から、次のとおり知事に報告されている。

  1. われわれの求める高度専門医療施設は、健やかな県民生活の実現に資することはもとより、広く中・四国を視野にいれ、国際的にも通用するハイレベルのもので、広島の蓄積を世界に発信し、県民のみならず世界の人々に貢献する施設であることが望まれる。本委員会では、このような遠大な目標を達成するために検討を重ね、候補となり得る疾患を絞り込み、がんを対象とした高度専門医療施設を整備することが妥当であるとの結論に達した。
  2. このような基本理念のもとで、本委員会では協議の結果、『(仮称)ひろしま国際平和祈念がんセンター基本構想』を取りまとめた。このセンターでは、地域の医療機関と役割分担をしつつ、今後増加が見込まれる部位ないし難治性のがんを対象とし、専門的かつ高度な医療技術や迅速な診断・治療を行うことに加え、患者の生活の質を重視した診療機能、診療を支える研究機能、がんの予防及び行政施策をサポートする疫学調査研究機能、トータルな緩和ケア機能、国際貢献を推進するための国際協力機能、公共性と効率性のバランスのとれた管理運営体制を備えることが望まれる。本委員会としては、構想の実現に向かって、さらに各方面の意見を取り入れながら検討が加えられるべきであると考える。
     
  3. 特に、基本構想に引き続き検討が加えられるべき課題である、施設の立地、設置主体を含む具体的な管理運営計画、財政計画、県の国際プロジェクトとの関係などについては、この基本構想を指針としつつ、広く有識者の意見も参考としながら検討されることを望むものである。なお、これらは、基本構想自体と相互に影響する側面もあるので、検討の進捗にあわせて構想を見直し調整を行うといった柔軟性が必要であることを指摘しておく。
  4. (仮称)ひろしま国際平和祈念がんセンター基本構想にもりこまれた具体的機能とハード面の方向性は次のとおりである。
    (1)診断・治療部門
    対象分野は、肝臓・肺等今後増加が見込まれるものや難治性のがん患者を対象とする。病院の性格は、横断的かつ集学的な診療を目指し、臓器別の診療体制とする。他の医療機関と役割分担を行うこととし、機能を広く一般医療機関にオープンにする。病床規模については、一応の目安として、300床から500床の範囲内で、今後立地条件等を考慮しながらさらに詰める。
    (2)研発部門
    臨床の診断・治療の向上に直結する病理診断や遺伝子治療などの臨床に関係の深い分野を基盤として、がん克服を目指した研究を行う。研究規模については、情報ネットワークと国内外の研究機関との相互補完により、適切な規模とする。
    (3)疫学部門
    がん予防のための情報を収集・解析して、臨床・基礎研究、行政施策をサポートする。
    (4)緩和ケア
    がん患者のQOL向上に寄与するためのトータル緩和医療を推進することとし、緩和ケア外来と専門病棟を整備する。また、地域がんケアへのサポート機能を設ける。
    (5)国際部門
    センター全体で国際貢献をするとの考えから、国際機関や政府援助機関(JICA)と協力して人的交流を行うとともに、活発な国際貢献を可能とするため、WHO等の国際機関や関係中央省庁、県内関連機関と協議する。
    (6)人材養成、研修
    がん専門家の養成・研修を県内外及び国際的にも行い、併せてがん分野に携わる各種の医療関係者や地域医療従事者、ボランティア等の研修も進めていく。
    (7)施設設置・運営形態
    国・県・市町村・民間の資源を最大限活用し、県民負担の軽減に努める。公設公営では困難な経営効率の追求と、民設民営では困難な公共性のバランスがとれるような、組織運営形態や方式を研究し、活発な組織を目指す。また、診療部門の様に、県民被益の比重が相対的に高い部門と、研究・疫学・国際協力部門の様に被爆者医療の実績を背景に全国的・国際的貢献の比重が相対的に高い部門とでは、県ないし地元負担のウエートが異なるべきであり、後者については、国や国際機関の支援を獲得する方途を積極的に探るべきである。その結果として、センターが複数の設置運営主体による部門によって構成されることも考えられる。

中谷 比呂樹 先生 ご略歴

昭和27年10月3日生まれ
昭和52年3月 慶応義塾大学医学部卒業
昭和54年4月 厚生省 児童家庭局 母子衛生課 主査
昭和54年12月-55年12月 豪州ニューサウスウエールズ大学院に留学
昭和56年7月 厚生省 公衆衛生局 結核成人病課 主査
昭和57年7月 厚生省 公衆衛生局 結核成人病課 課長補佐
昭和57年10月 厚生省 医務局 医事課 課長補佐
昭和60年12月 厚生省 大臣官房 国際課 課長補佐
昭和63年4月 世界保健機構本部(ジュネーブ)出向、人材開発部政策解析課長
帰国、旧職に復帰
平成5年4月 厚生省 保健医療局 国立病院部 政策医療課
平成5年7月 高度専門医療指導官
平成6年9月 広島県福祉保健部長