第10回広島がんセミナー県民公開講座

「がんの予防と治療-がんで死なないために-」

平成12年10月28日(土)

がんは、どこまで減らせるか?
-アメリカの成功から学ぶこと-

東北大学大学院医学系研究科公衆衛生学分野・助教授
辻 一郎

1.日本人のがん
 わが国のがん(年齢調整)死亡率は、戦後一貫して、男性で増加、女性で微減、男女あわせると横這いを続けている。女性でがん死亡率が減少しているのは、胃がん・子宮がん死亡率の減少のためである。しかし近年、子宮がん死亡率には下げ止まりの感がある。一方、肺がん・大腸がんなどの死亡率が急増中である。減っているがんより、増えているがんの方が、その勢いが強い。今後、わが国のがん死亡は増加に転じることが危惧される。
 一方、アメリカでは1990年を境として、(建国以来はじめて)がん死亡率・罹患率ともに減少に転じた。アメリカの成功の秘訣をたどりながら、がんはどこまで減らせるのかについて考えてみたい。

2.アメリカのがん対策

 60年代末にアポロ計画が成功を治めた後、ニクソン大統領(当時)は次の国家事業として、がん撲滅を選んだ。がん死亡率の半減を目標として、がん対策と研究に(アポロ並みの)巨額の予算が投じられた。しかし残念なことに、がん死亡の増加傾向には何の変化も現われなかった。これを契機として、80年前後より対がん戦略が見直され、がん対策に占める予防の位置が強まってきた。
 当時のアメリカは、予防に目覚めた時代だったとも言える。急速に禁煙者が増加し、ジョギングがブームになるなど、健康のエリートこそ真のエリートという社会的イメージが定着し始めたのが80年前後のアメリカではなかっただろうか。
 これらを背景として、79年に「ヘルシー・ピープル」という新しい健康政策が登場した。これは、10年後の健康レベルに関する数値目標を示し、それに到達するための疾病予防対策を体系化したものである。そして政府だけでなく、関係職能団体・民間企業・民間の団体などを巻き込んだ社会全体としての国民運動が展開された。  現在は第2次計画「ヘルシー・ピープル2000」が進行中である。このうち、がん対策の部分を以下に紹介する。
 全部位・肺・乳房・子宮・大腸の各がん死亡率の減少、そして肺がん死亡率の増加抑制が健康水準の目標に示された。
 1次予防(がんにならないための生活習慣の改善)では、喫煙率の減少(当時29%→目標15%)・栄養の改善(脂肪の摂取制限と高繊維食品の摂取増加)・紫外線曝露の制限が挙げられた。
 2次予防(早期発見・早期治療で、がん死の予防)では、乳がん検診(50歳以上の女性の60%)、子宮頚がん検診(18歳以上の女性の85%)、大腸がん検診(50歳以上の50%)について、カッコ内の数値が受診率の目標とされた。
 これらの目標を達成するために、アメリカでは社会全体でのキャンペーンや制度改革(検診費用を医療保険で給付するなど)が行われた。その結果、国民全体の健康指標が改善し、そして、がんも減り始めた。

3.アメリカのがん死亡・罹患の動向

 アメリカのがん死亡率は91年より、罹患率は92年より減少を始めた。がん罹患率は、90年以前では年率1.2%の増加を続けていたが、90年より年率0.7%の割合で減少している。減少率が最も大きかったものは大腸、口腔・咽頭、肺、前立腺の各がん、そして白血病の順で続いている。
 73年から90年までの間、がん死亡率は毎年0.4%ずつ増加していた。しかし、90年以降は年率0.5%の減少となった。乳房・大腸・前立腺の各がんで死亡率の減少が著しい。
 特に乳がんでは、罹患率は減っていないのに、死亡率が減少した。これは、がん検診の普及による死亡率減少効果が国全体として目に見える形で現れてきたものと思われる。
 肺がん死亡の減少は年率0.3%と僅かだが、90年以前の増加率が2.1%であったことを考えれば、相当な進歩と言える。90年以降の肺がん罹患の減少率(1.1%)からすれば、今後、アメリカの肺がん死亡が急速に減少していくことは間違いない。
 禁煙による目覚ましい効果と言えよう。アメリカの喫煙率(成人)は、65年当時で男性51.9%、女性33.9%であった。それが85年に男性32.6%、女性27.9%。そして95年では男性27.0%、女性22.6%となった。男性ではこの30年間で喫煙率が半減した。因みに日本の喫煙率(成人)は、男性で51.2%、女性で9.8%。日本人男性はアメリカ人男性より30年も遅れている。

4.おわりに

 がんに関して、私たちが持っている知識と技術には、限界がある。しかし、その限られた知識や技術であっても、それを正しく使えば、がんは相当程度減らせることを、アメリカの歴史は実証してくれた。
 アメリカのがん予防の経緯を追いながら、今後のわが国のがん予防対策を考えたい。

辻 一郎 先生 ご略歴

1957年(昭和32年) 北海道函館市生まれ
1983年(昭和58年) 東北大学医学部卒業
1989年(平成元年) 東北大学医学部公衆衛生学講座助手
1991~1993年 米国ジョンズ・ホプキンズ大学公衆衛生学部疫学科に留学
1993年(平成5年) 東北大学医学部公衆衛生学講座講師
1996年(平成8年) 同講座助教授、現在に至る

 

専門は、成人病・老化の疫学、保健医療の技術評価。
一般向けの著書として「健康寿命」(麦秋社、1998年)がある。

     
大腸がんで死なないために

癌研究会附属病院・副院長
武藤 徹一郎

 大腸がんが増えている。昨年は男女合わせて33,000人の方々が大腸がんで亡くなった。45年前の死亡数4,200人と比較すると8倍の増加である。経済力もこれ位の倍率で向上したが、がん死の増加は有り難くないことである。日本の経済とは違って、大腸癌の数は依然として右肩上がりの上昇を続けており、S状結腸がんの増加がとくに著しい。将来は男性がん死の3位、女性がん死の1位になると予測されている。
 大腸がんの基本的な治療法は手術であるが、手術成績は様々な臓器の中で最も良い部類に属している。術後5年生きる確率(5年生存率)は全体で60~70%、早期のがんであれば90~100%である。仮に5年生存率を60%とすると年間80,000人以上(33,000÷0.4)が大腸がんに罹っていることになる。膵臓がんなどは手術の成績がよくないので、死亡数と罹患数がほぼ同じと考えてよいが、大腸がんは罹っても治る人の方がはるかに多いという特徴がある。したがって、死ななくてすむ方策があるから大腸がんで死ぬことはない。簡単に言えば、大腸がんで死なないために2つの方策、1次予防と2次予防がある。
 2次予防とは検診によって大腸がんを早期に発見することを指す。検診には便潜血検査が用いられる。大腸がんの初期症状として最も多いのは血便で、便に血液が混じったり、便に血液が付着していたりするのに気付く。しかし、このような症状に気付くのは余程神経質な人か、偶然に気付くことが多い。また、症状があって発見された大腸癌のほとんどは進行したがんであり、手術の成績は必ずしも良くない。それに反して、目に見えない微量の血液の混入を検出できる新しい潜血検査法は、被検者への負担も少なく、発見されるがんは、症状があってはじめて見つかったがんより、早期のものがはるかに多く含まれているのが特徴である。当然のことながら手術成績もよい。その理由の1つは肝転移している例が少ないことにもよる。
 早期がんの一部は内視鏡的に治療することも可能である。早期がんでなくても、より早期の進行がんであれば、腹腔鏡を用いた侵襲の少ない手術が可能であり、直腸がんの場合にはほとんど全例に肛門機能を温存した手術ができる。このように第2次予防で患者さんの受けるメリットは計り知れないほどに大きい。便潜血検査は50歳から毎年1回受けるのが望ましい。家族の中に大腸がんに罹った方がいる場合には、大腸がんができるリスクが高くなるので40歳から検査を始めることを勧めたい。毎年1回の便潜血検査の励行こそ大腸がんで死なないための第1の方策である。ついでながら、直腸がんの70%以上は、人工肛門を作らないですむ手術が可能になっていることを強調しておきたい。但し、真の専門家でないとこの率には達しない。自分の健康は自分で守ると同時に、良い医者選びも自らの命とQOLを守るために、大変重要であることは言うまでもない。
 2次予防が、罹ってしまった大腸がんをできるだけ早期に発見する方策であるのに対して、1次予防は大腸がんに罹らないための方策を指す。疫学的研究ならびに動物実験から、大腸がんの原因として動物性脂肪が挙げられている。多量の脂肪摂取は胆汁酸の過剰排出をもたらし、腸内細菌によって胆汁酸からがん原物質が産生され、大腸がんが発生すると考えられている。食物繊維はこの発がん過程に対して抑制的に働くことが知られている。欧米に大腸がんが多いのも肉食が主で野菜の摂取量が少ないためであると説明されている。わが国で最近、急速に大腸がんが増加しているのも、食生活の欧米化にその原因が求められている。したがって、大腸がんの1次予防として食生活の脱欧米化が勧められている。すなわち、肉食をできるだけ避け、とくに動物性脂肪の摂取を控えて、野菜、果物から食物繊維を十分に摂取することが、大腸がんの予防に効果があると考えられている。要するに、古来日本の食生活パターンに戻るということである。決して完全に戻るというのではなく、日常生活の中で日本食を摂る機会をより多くするように努めればよい。
 この食生活上の注意は大腸がんの予防に有効であるばかりでなく、高血圧症や糖尿病の如き生活習慣病の予防にも役立つので、一石二鳥である。人はいつかは病気に罹らざるをえない。症状が明らかになるまで放置しておかずに、できるだけ罹らないように若いうちから努力すると同時に、万一罹った場合には、それをより早期に発見し治療するという心構えを持つことが肝要である。命は自分のもので2つとない大切なものである。それを大切にするためには、自分でもそれなりに努力する必要があろう。誰もがんで死にたくはない。こと大腸がんに関してはそれが可能なのである。

武藤 徹一郎 先生 ご略歴

1963年 東京大学医学部卒業
1964年 東京大学医学部第一外科入局
1968年 東京大学大学院第三臨床医学過程修了、医学博士
1970~72年 WHO奨学生としてロンドンSt. Mark’s病院に留学
1980年 東京大学医学部第一外科助手
1982年 東京大学医学部第一外科助教授
1991年 東京大学医学部第一外科(腫瘍外科)教授
1993~95年 東京大学医学部附属病院院長
1999年 東京大学退官、東京大学名誉教授、
財団法人癌研究会附属病院副院長、現在に至る

専門は、腫瘍外科、消化管腫瘍、臨床腫瘍学。
学会活動として、日本外科学会、日本癌学会、日本癌治療学会、日本消化器外科学会、日本消化器病学会、日本消化器内視鏡学会、日本大腸肛門病学会、日本胃癌学会、などの理事、評議員を務める。また、多くの学術誌の編集委員(Japanese Journal of Clinical Oncology、Japanese Journal of Cancer Research、など)でもある。