「がん診療の進歩」
平成4年6月6日(土)
国立病院医療センター院長
高久 史麿
政府提唱による対癌10ヶ年計画が現在進行中であり、癌の診断・治療には最近めざましい進歩がみられている。
先ず、わが国における癌の種類の変化をみてみると、かつては胃癌が全部の癌の1/3、男性の癌の半分を占めていたのが最近では肺癌、大腸癌、乳癌がふえ、胃癌は著しく減少する傾向を示している。食生活の変化、喫煙などの生活習慣が、このような癌の種類の変化に大きな影響を及ぼしていると考えられるが、この事は同時に又癌の予防における日常生活上の習慣の重要さを示しているといえよう。
癌の診断上の進歩として先ずあげられるのは画像診断の進歩である。消化器癌特に胃癌の診断における内視鏡診断の有用性は改めてのべる必要がない程であるが、肝臓、膵臓、リンパ節などの腹腔内実質臓器の癌の診断に超音波診断はその簡便さの故に最も有力な診断手段となっている。CTも超音波と同様に有用であるが、更にMRIが加わる事によって癌の画像診断は、現在早期癌診断の主流となっている。
癌細胞に特有な抗原などの腫瘍マーカーの血清中での存在を抗体を用いて発見することによって癌の診断を行う事も肝癌などで以前から行われている。特に最近ではマーカーの分子構造が明らかになり、それに対する特異性の高い単クローン抗体がつくられるようになってから腫瘍マーカーの検索は一段と進歩した。これらのマーカーは特異性や感度の点においては、早期診断という点で画像診断よりも劣るが、治療効果の判定、再発の早期発見の観点からは極めて有用な事が明らかになっている。この他最近では癌細胞にみられる癌遺伝子、抑制遺伝子の変化を癌の診断、癌に悪性度の指標として用いる事も行われるようになっている。
癌治療の面の進歩にも著しいものがある。手術療法の面では、臓器の機能をできるだけ保存し、又手術範囲も小さくする傾向が著しい。患者のQOL( QUALITY OF LIFE )を考えると当然の方向であると考えられる。このような縮小手術が可能となった背景として、画像診断の発達、内視鏡手術、化学療法や温熱療法との併用など新しい技術の導入があげられる。この他進行癌に対して先ず化学療法を行ったのちに手術をするneo-adjuvant療法なども最近の新しい動向としてあげられる。放射線療法でも膵臓癌に対する術中照射、子宮頸部癌に対する高線量率腔内照射、温熱療法との組合わせなど様々な工夫がなされている。一方化学療法の分野では新しい抗癌剤として1975年以降シスプラチンとエトポサイドが登場した事の意義が極めて大きく、これらの化学療法剤の登場によって睾丸腫瘍、卵巣癌、肺小細胞癌に対する有効な化学療法のプロトコールが開発され治療効果の著しい改善を認めた。
白血病、悪性リンパ腫などの造血器腫瘍に対しては、以前から有効な化学療法剤の併用が行われ、小児のリンパ性白血病やホジキンリンパ腫などに対しては治癒を期待する事が出来るようになった。 更に1980年代に入ってから白血病に対する骨髄移植療法が一般化し、第一寛解期の急性白血病で60%、慢性期の慢性骨髄性白血病で80%以上という高率に長期生存例がみられるようになった。従来骨髄移植はHLA型の問題があるため兄弟姉妹即ち同胞間でのみ行われていた。そのため骨髄移植療法の恩恵を受けられる患者が制限されていたが、最近非血縁者間の骨髄移植を推進するための骨髄バンクがつくられ、白血病患者が骨髄移植療法を受けられる機会が飛躍的に増大するものと期待されている。又、癌患者自身の骨髄をとって凍結保存しておき、強力な化学療法を行った後に患者自身に戻すという自家骨髄移植も化学療法の一部として、次第に広く行われようとしている。癌患者に対する総合的なケアーとして、informed consept の実施、麻薬の積極的な投与による疼痛のコントロール、更にホスピスへの入院などが行われるようになった。しかし、ホスピスは諸外国に比べてその数は少なく、今後の体制の整備が待たれる。
癌の診断にとって最も重要なのは他の成人病の場合と同様に予防である。癌センターを中心に癌の予防のための12箇条がつくられているが、要はバランスのとれた食事をとり、規則正しい日常生活を送る事である。特に煙草は肺癌のみでなく、他の癌の発生も増加させる要因としてあげられており、禁煙が最も確実な癌の予防法といえよう。
高久 史麿 先生 ご略歴
昭和6年2月11日 | 生まれ |
昭和25年3月 | 第五高等学校理科甲類卒業 |
昭和29年3月 | 東京大学医学部卒業 |
昭和30年3月 | 東京大学医学部附属病院にてインターン終了 |
昭和33年4月 | 群馬大学医学部助手 |
昭和34年6月 | 「赤血球内遊離プロトポルフィリン値」の論文に対し医学博士授与 |
昭和35年1月 | 東京大学医学部助手(沖中内科) |
昭和37年1月 | 国際原子力委員会留学生として米国シカゴ大学に留学 |
昭和39年8月 | 東京大学医学部助手(中尾内科) |
昭和47年4月 | 自治医科大学内科教授 |
昭和57年7月 | 東京大学医学部第3内科教授 |
昭和61年4月 | 東京大学評議員 |
昭和61年5月 | 文部省高等教育局科学官 |
昭和62年9月 | 東京大学医科学研究所教授(病態薬理)兼任 |
昭和63年4月 | 東京大学医学部長 |
平成2年4月 | 国立病院医療センター院長 |