「がん診療の現状-終末期医療についても-」
平成7年10月28日(土)
国立がんセンター 総 長
阿 部 薫
1. はじめに
”がん”が本邦において死亡原因の1位になったのは1981年(昭和56年)のことであるが、それ以来1位の座に座り続け、現状では亡くなる方の4人に1人が”がん”という状態になっている。これは”がん”の頻度が高くなったというよりも、日本の社会が高齢化し、”がん”で亡くなる方の数がふえたことが大きな因子となっている。今後、高齢化がますます進むとともにがんで亡くなる方の数はもっと増すと予想されている。このような事態は、21世紀の高齢化社会では社会現象の1つであるということもできる。私たちはこのような事態をどの様に捉え、どの様に対応していったらよいのかにつき私見を述べさせていただき、その責に代えさせていただく。
2. 変わりゆくがん
がんの発生頻度は全体としてあまりかわりはないとしても、がん種類別の発生頻度はかなり変わってきていることが明らかにされている。即ち簡単に言うと増えている種類のがんと減っている種類のがんがあるということである。減っているがんとしては、胃がん、子宮頸部がんをあげることができる。一方、その他の種類のがんは大体ふえていると言ってもよい。ことに増えているのが明らかなものに肺がん、大腸がん、乳がん、肝がんなどをあげることができる。この原因としては、寿命が高齢化したこと、一時喫煙人口が多かったこと、そして日本人の食生活が欧米化したことなどをあげることができる。がんの原因の大部分は、食事、喫煙などの外的因子であり、そして一般にがんになるまでには20年~30年もの歳月がかかると言われている。
最近ではもう一つむずかしいが現実の問題がある。それは、同じ人に2つ、3つとがんが発生してくるという事実である。例えば、胃がんになったが早期であったため、手術され治った。しかし、数年たって同じ患者さんが食道がんになったというような症例がふえてきていることである。これが二重がんであるが、時には三重がん、四重がんというような患者さんもおられる。一般的に、がんが治った方は、次のがんになる可能性がいくぶん高いということが明らかにされており、残念であるがこれも事実なのである。
3. 治る”がん”と治らない”がん”
現在、大雑把に言って、がんの約半分、50%は治ると言ってよい状態になっている。治るがんは、そのほとんどが外科的切除によるものである。以前、著者が医者に成り立ての頃、白血病などは正に不治の病で、一度入院すれば次第に悪くなり亡くなられるのが普通であった。しかし、現在では完全寛解し、退院できることも決して稀ではない。これは、最近における”がん化学療法”の進歩に負うところが大きい。がん化学療法の効果の明らかながんには、白血病、悪性リンパ腫などの血液のがん、肺の小細胞がん、卵巣がん、睾丸腫瘍などをあげることができる。また、治すことはむずかしいとしても、がんを縮小せしめ、患者さんの生命を長らえさせることが可能な種類のがん、即ち進行した乳がんなどは、私達がんを専門とする内科医が何とかできるのではと感じ始めた種類のがんである。
一方、患者さんが病院を訪れた時すでに治る可能性があまりないと考えられるがんもある。最近のがん医療の進歩の一つは、診断された時点で治る可能性があるのかないのかある程度明確に分かるようになったことではないかと思われる。即ち、個々のがん患者に対してその治療の適応と限界を比較的明確にとらえることができるようになっていると言うことができよう。適応に対しては常にこれを拡大していく努力が必要であると共に、限界に対しては、これを謙虚に受け止め、適切な対応に努めることも重要であろう。
4. 終末期医療について
がんが進行し、もういろいろな治療に対して反応しなくなり、これ以上治療してもなんら効果が望めないという事態に陥ることも決して稀ではない。この様な場合、最も必要とされるのは、患者ががんによって苦しむことがない様にすることである。多くのがん患者が終末期にはがんによる激しい痛みに襲われる。しかし今日ではWHOの指針なども出されており、麻薬を適正に使用するならば、がんによる痛みに苦しめられることはまずない。しかし、痛み以外に呼吸困難、いろいろな消化器症状、加えて”うつ”などの精神症状にも苦しめられることも多いが、この様な症状を緩和する医療も進歩している。また、高齢化社会になるとともに、人々が自分の死はいかにあるべきかということを考える風潮も高まっている。病院よりは自宅で、自分らしい死を、即ち自分としての生を全うしたいと思っている方も少なくない。
このような、社会的風潮を、国立がんセンター東病院の緩和ケア病棟(ホスピス)を例にとり、終末期の医療、そして人間の生と死の問題についても人々の考えと共に私自身の考え方も述べてみたい。
阿部 薫 先生 ご略歴
昭和8年12月2日 | 神奈川県横須賀市生れ |
昭和33年3月 | 東京大学医学部医学科卒 |
昭和34年3月 | 東京大学医学部附属病院インターン終了 |
昭和38年3月 | 東京大学医学部大学院博士課程終了 医学博士の学位授与 |
昭和38年4月 | 埼玉県小川町日本赤十字病院内科 |
昭和38年12月 | 東京大学医学部附属病院第一内科 |
昭和39年4月 | 米国テネシー州ヴァンダビルト大学に留学 |
昭和42年4月 | ヴァンダビルト大学内科講師 |
昭和44年7月 | 東京大学医学部附属病院第一内科 |
昭和47年4月 | 国立がんセンター研究所内分泌部治療研究室長 |
昭和50年7月 | 国立がんセンター研究所内分泌部長 |
昭和60年10月 | 国立がんセンター病院病棟部長 |
平成元年4月 | 国立がんセンター病院副院長 |
平成2年3月 | 国立療養所松戸病院長 |
平成4年7月 | 国立がんセンター東病院長 |
平成6年4月 | 国立がんセンター総長 現在に至る |