第7回広島がんセミナー県民公開講座

「がんの予防と治療の最前線」

平成9年11月15日(土)

食生活とがん予防 -移民研究を中心に-

岐阜大学医学部公衆衛生学教室・教授
清水 弘之

1.はじめに
 ヒトを使って医学の実験を行うことは原則として許されていない。そこで、ヒトの病気の原因を探究するために、一定の社会環境下における人間の行動とその結果としての健康状況(病気の発生)との間の法則性を見つけて体系化しようとする学問分野が発達した。それを疫学と呼んでいる。
 疫学の基本は、ヒトの健康にかかわる事象(病気もその中の一つ)の頻度分布を明らかにすることである。「がん」の疫学研究においてもその基本は変わらない。特に、頻度分布に大きな差が認められる集団を比較することができれば、発生要因究明のための手がかりが得やすいと思われる。
2.移民研究と日系アメリカ人

 例えば、日本などで多いがんとアメリカで多いがんを比較し、次いで日本とアメリカの生活様式・環境がどう違うかを調べればよい。ところが、日本人と白人では、生活様式が異なる以前に、人種が違う。もともと体質が違うかもしれないのである。
この問題点を克服するためには、同じ民族が全く異なった環境へ移住した後のがんのパターンの変化を調べる必要がある(移民研究)。移民集団は世界中にたくさんあるが、その好例の一つに日本からアメリカへの移民がある。
 日系アメリカ人が移民研究の対象として適している理由の一つは、その人口規模にある。現在、ハワイおよびロサンゼルス在住の日系人の数はそれぞれ約23万人、11万人である。また、日米双方に比較可能な死亡登録のシステムがあったことも、日系アメリカ人のがん研究が進んだ理由の一つと考えられる。加えて、地域がん登録が日米双方に存在したことは、研究遂行の上からは幸いであった。特に、致命率の低いがんではがんになっても他の病気で死亡する確率が高く、死亡診断書だけではがんの頻度をとらえることができないので、罹患(発生)の情報、つまり地域がん登録がなければ研究は進まない。

3.年齢補正(標準化)

 がんのように高齢者で頻度の高い疾患の死亡率・罹患率を複数の集団で比較する場合には、その集団の年齢構成の差が問題となる。つまり、単純に罹患率(=罹患数/人口)を比較しても無意味で、比較のため一定の年齢にそろえておく必要がある。これを年齢補正または標準化という。
 以下に示す罹患率は、原則として世界人口を用いて標準化した値である。

4.日系アメリカ人のがん罹患

 表1は、主な部位のがんの罹患率を日米で比較したものである。日本の値は、宮城県と大阪府のがん登録による日本人の値を単純に平均した。アメリカの値は、ハワイとロサンゼルスでのがん登録による値を単純に平均したものであり、日系人と白人に分けて示してある。あわせて、ロサンゼルスの黒人の値を示した。
 日本から米国への移民は比較的関西、九州、沖縄出身者が多いので、表1で示した宮城、大阪の値をそのまま使うには若干問題が残るが、日本人がアメリカへ移民することによって変化したがんのパターンは概ね次のようにまとめることができる。

移民によって減ったがん:
 食道がん、胃がん、肝臓がん、胆嚢・胆管がん
移民によって増えたがん:
 結腸がん、直腸がん、白血病、前立腺がん、
 精巣がん、乳がん、子宮体部がん、卵巣がん
移民によっても不変のがん:
 膵臓がん、肺がん、膀胱がん、腎臓がん

5.がんの発生要因をめぐって

 これらのデータから直接がんの発生要因を特定することはできないが、より詳細な研究のための貴重なステップであることには違いない。
 日本人がアメリカに移住してがんのパターンが変わるのであるから、人種を越えた何かが作用したと考えるのが普通である。空気か、水か、土壌か、食生活を含む生活習慣の変化か。最も重要な役割を果たしているのはおそらく食物であろうが、具体的な食品名や栄養素をあげるとなると、容易ではない。また、食物そのものが臓器の粘膜を傷害するという簡単な考えから、ホルモンなどを介して発がんに結びついているとの考え方もある。
 本講演では、胃がん、大腸がん、乳がんを中心に、日本の日本人、アメリカの日系人、アメリカの白人の食生活を比較し、さらに胃がんの原因の一つと考えられているヘリコバクター・ピロリの感染率や、乳がんと深い関係を持つ血清中のエストロゲンの値の比較を通じて、がんの発生をめぐるいくつかの考え方を紹介する。それが、がんの予防につながれば幸いである。

清水 弘之 先生 ご略歴

昭和22年 京都府生まれ
昭和41年3月 京都府立峰山高等学校卒業
昭和47年3月 岐阜大学医学部医学科卒業
昭和47年4月 国立名古屋病院内科研修医
昭和49年4月 愛知県がんセンター研究所研究員(疫学部)
昭和54年10月 同上休職(日米癌研究協力事業米国派遣研究員として、
南カリフォルニア大学医学部で研究)
昭和55年9月 同上復職
昭和56年4月 愛知県がんセンター研究所主任研究員(疫学部)
昭和57年7月 東北大学医学部助教授(公衆衛生学講座)
平成元年より 岐阜大学医学部教授(公衆衛生学講座)

     
がん診療の現状と将来

国立がんセンター中央病院・院長
垣添 忠生

 がん診療は診断と治療があたかも車の車輪のようにそろって進歩した結果、今日の成果につながっている。
 がんの診断とは、どの臓器に、どんな性質のがんが発生して、どのくらい進んでいるか、を見極めることである。そのためにはCT(コンピューテッド・トモグラフィー)、MRI(核磁気共鳴画像)、超音波検査、内視鏡検査など画像診断が駆使される。また、がん細胞が産生する微量の物質や、がん遺伝子産物などを血液や尿、便などの体液の中に検出して、がんの進み具合いを診断したり、治療効果の判定に役立てるなど腫瘍マーカー診断もよく使われる。こうした検査の組み合わせの結果として病期診断が確定される。さらに生検といって腫瘍組織をほんの微量取って病理検査することによって、がんの組織学的および悪性度診断がくだされる。これらの情報を総合して、その患者さんにもっとも適した治療が計画される。これが現在の大まかながん診断の流れである。
 がんの治療は、がんの種類と病期、患者さんの希望や年齢、全身状態に応じて、手術療法、放射線療法、化学療法、免疫療法、あるいはその組み合わせとしての集学的治療が行われる。手術療法の場合も、状況に応じて縮小手術と拡大手術、開放手術と内視鏡手術といった選択肢が生じうる。放射線治療の場合も体外照射や腟内照射といった従来からある方法に加えて、陽子線治療や重粒子線治療といった新しい選択肢も導入されようとしている。手術療法も放射線療法もいわばがんの局所治療法である。これに対してがんが、発生した臓器を離れて他の臓器に転移した状況では全身療法が必要となる。その代表が化学療法、免疫療法である。化学療法には副作用が必ずあるので、それを実施するか否かの判断はがんの性質と抗がん剤の有効性、そして患者さんの意志にかかっている。
 がんの種類によっては、患者さんの年齢やがんの悪性度を考慮して、治療を特に加えることなく定期的な経過観察だけを行っても十分、という選択もありうる。また、がんが進行した病態の患者さんに対しては緩和療法といって苦痛の軽減を第一の目標とした治療もありうる。このように一言でがんといっても、その内容は多様であり、治療法も多彩となってきた。そうなると患者さん自身が御自分のがんの状態をよく知られ、もっとも適切な治療の選択をされるいわゆる「インフォームド・コンセント」(説明と同意)や、「がん告知」がとても大切な前提条件となる。
 このように、治療前の診断が精緻なものになればなるほど、がん治療の選択肢は広がり、治療の個別化が進むことになる。しかし、ここで忘れてはならない点は、がんは元来年をとるとかかりやすい病気なので、高齢化が急速に進みつつあるわが国ではがんになる患者さんがますます増加する、特に高齢のがん患者さんが増加する点である。高齢者のがんの診断や治療を進める際には、壮年層の人たちとはまた別なきめ細かな対応、新しい身体にとって負担の少ない診療技術が開発されることがとりわけ必要である。
 現在、日本全体では年間26万人のがん患者さんが亡くなっている。近い将来、国民の3人に1人ががんで亡くなると予測されている。高齢者がふえ、がんになる人が増加するとこの傾向は一層顕著なものとなる。となると、新しいがんの診断技術、治療技術の開発をさらに進めることは当然であるが、それに加えて「がんにならない」、つまりがんの一次予防が今後とても大切な課題となるだろう。がんの一次予防といっても、実際にはがんになる時期を先のばしする、即ち、例えば60歳でがんになるはずだった人が、適切な予防薬を内服したり、生活習慣を変えることによって、もしがんになる時期を90歳まで先のばしすることができるなら、がんは発生してもその人はいわば天寿を全うできることになる。このようながん予防手段の開発、それに加えてタバコを吸うことを止める、あまり脂肪分や塩分の多い食事をとらない、といった生活習慣の改善でがんになる年齢の先のばしが可能となるならその意義は大きいといえる。積極的にがん予防の考え方をとり入れること、とりわけがんになる危険性の高いハイ・リスクの人達を対象としたプログラムの開発がこれからの課題として重要と思われる。

垣添 忠生 先生 ご略歴

1967年
同年
 
1972年
1975年
1987年
1992年
東京大学医学部医学科卒業
東京大学付属病院で研修
その後、都立豊島病院、医療法人藤間病院外科に勤務
東京大学医学部泌尿器科文部教官助手
国立がんセンター病院泌尿器科に勤務
同病院手術部長、第1病練部長など
国立がんセンター中央病院長、現在に至る

専門:泌尿器科学(立場上、がんの診断、治療、予防に幅広く関わる)
受賞:国立がんセンター田宮賞、高松宮妃がん研究基金学術賞など