「がんの発生と治療-生と死」
平成10年11月3日(火)文化の日
人は何故がんになるのか
昭和大学腫瘍分子生物学研究所・所長
黒木 登志夫
人は何故がんになるのであろうか。がんに罹った人は自らの不運を嘆き、家族は説明に困るに違いない。医学・生物学にとってもがんは大きな謎である。60兆もの細胞が作りあげる緻密な細胞社会。そのような社会を根底から脅かす革命。それががんである。細胞が正常であり続けるためには、遺伝子が正常性を保つように働き続けねばならない。がんはそのような遺伝子-がん遺伝子とがん抑制遺伝子-に変異がおこったために生じた病気であることが確かになってきた。本講演では、社会生活から遺伝子にいたるまで広くがんの原因を求め、その対策を考えてみたい。
黒木 登志夫 先生 ご略歴
1936年(昭和11年) | 東京生まれ |
1960年(昭和35年) | 東北大学医学部卒業 |
1967年(昭和42年) | 東北大学助教授 |
1969~1971年 | 米国ウイスコンシン大学に留学 |
1971年(昭和46年) | 東京大学医科学研究所助教授 |
1975~1978年 | WHO国際がん研究機関(フランス・リヨン市)に勤務 |
1984年(昭和59年) | 東京大学医科学研究所教授 |
1996年(平成8年) | 東京大学退官、東京大学名誉教授、昭和大学腫瘍分子生物学研究所所長、現在に至る |
専門は、発がんとがん細胞の細胞生物学。
一般向けのがんの本として「がん細胞の誕生」(朝日選書284、朝日新聞社、1989)、「がん遺伝子の発見」(中公新書1290、中央公論社、1996)がある。
平成12年度、日本癌学会会長。
がん、生と死
広島大学原爆放射能医学研究所腫瘍外科・教授
峠 哲哉
わが国の死亡原因の第一位は癌であり、現在、4人に1人が癌で死亡しており、21世紀にはますます癌死の割合が増加すると推定されております。われわれにとって、癌は死の病であると認識され、最も恐れられている病気であります。今回、癌専門医の立場から、癌は死の病か、その生と死を分けるものはなにか、癌で死ぬこととは、について述べ、これからの癌治療の在り方をご一緒に考えてみたいと思います。
癌は死の病か
癌は遺伝子の病であることが、近年の生命科学の進歩により明らかにされて来ました。正常な細胞から前癌状態を経て癌細胞に変化して行く過程で、多くの遺伝子の異常が蓄積し、段階を踏んで発癌に至るとされていることが判っています。つまり、癌は一朝一夕に出来るものではなく、発生には約二十年余の年月を必要とすると言われております。各臓器において、一旦癌になった細胞は退化することなく、早い速度で増殖して行きます。癌は発生した臓器の中だけに増えるのではなく、周囲の臓器に浸潤し、さらに、癌が癌である由縁は、他の組織、臓器に転移することであります。癌は転移した場所でまた増殖を繰り返し、最後には臓器の機能を廃絶させ、人を死に至らしめることになります。
癌は放置すれば、確かに死の病でありますが、現在では、ある進行段階までに治療をすれば完全に治癒させることができます。従って、癌は決して怖い、死の病ではありません。
生と死を分けるものは何か
癌は早期の段階では、多くは発生した臓器の中に留まっております。癌化した部位を取り除けば、癌から完全に解放されることになります。したがって、一番大切なことは癌を早期の段階で発見し、治療することであります。残念ながら、早期の間には癌に伴う自覚症状は殆どありません。したがって、多くの場合、定期的な検診で癌が早期の段階で発見されております。現在では早期に発見された癌には、必ずしも臓器を摘出する外科的手術は必要でなく、より縮小した手術や内視鏡を用いた切除が行われております。従って、生と死を分けるものは、癌の早期発見に掛かっていると言えます。
進行癌になると、死亡率は格段に上がりますが、確実な治療によって、現在の死亡率は10年前に比べても改善されています。癌の治療には大きく分ければ、手術療法、抗癌剤を使う化学療法、放射線療法、リンパ球、ワクチンなどを用いる免疫療法の四つがあります。癌の特効薬は未だ世に出ておりませんが、これらの治療法も年々著しく進歩しており、癌の進行の程度、種類、性格などによって、これらを組み合わせた治療が行われます。人の顔が一人一人みな違うように、癌もいろいろな顔を持っており、その人に最も適した治療法を選択しております。
癌で死ぬこと
最新の医学をもってしても、末期の癌に対しては治療に限界があります。癌の末期には人は痛み苦しんで死んで行くものと恐れられていました。現在、終末期の患者には緩和医療が行われます。癌に随伴する種々の症状、たとえば痛み、倦怠感、食事が摂れないなどの肉体的苦痛や精神的な苦痛を和らげる医療を実践しております。従来のように病院で徒に無意味な治療を繰り返すのではなく、可能な限り社会復帰を考えての医療です。
死は生の延長上にあり、人はいつの日か必ず死ぬものであります。世阿弥の辞世の句に「いづれの花か散らで残るべき 散る故によりて咲く頃あれば 珍しきなり」とあります。しかし、潔さを旨とする日本人の死生観からは、癌死は最も対極にある死に方であります。日本人の多くが癌で死ぬことだけは避けたいと思う由縁はここにあります。われわれは、癌の患者が「残された人生をいかに全うするか」を考え、「最後の一年間は自分の人生の中で最も充実した時であった」と、骨肉腫で死んだ26才の青年が残した言葉のような医療を目指しております。
峠 哲哉 先生 ご略歴
1969年(昭和44年) | 広島大学医学部卒業 |
1970年(昭和45年) | 広島大学原爆放射能医学研究所外科入局 |
1974~1975年 | 東京大学医科学研究所癌病態研究部に国内留学 |
1976年(昭和51年) | 医学博士 |
1978~1980年 | パリ大学ブルッセ病院免疫生物学研究所に留学(フランス政府給費留学生) |
1980年(昭和55年) | 広島大学医学部付属病院外科講師 |
1989年(平成元年) | 広島大学原爆放射能医学研究所腫瘍外科教授 現在に至る |
1996~1998年 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長、広島大学評議員 |
専門は、腫瘍外科、消化器外科、腫瘍免疫、癌薬物療法、臨床腫瘍学。
学会活動として、多くの学会の理事(日本癌治療学会、日本BRM学会、日本臨床免疫学会、など)、評議員(日本癌学会、日本外科学会、日本消化器外科学会、など)を務める。日本外科学会、日本消化器外科学会、日本大腸肛門学会、日本乳癌学会などの認定する専門医、指導医でもある。